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今から8年前に、当時の普勝清治社長が若狭得治名誉会長とともに社長職を退き、野村社長に後を託した時に、「これで全日空も変わる」と語ったことがある。あれから8年間、様々な外的要因で、資本準備金を取り崩したり、6期無配という厳しい状況が続いたが、社内融和に取り組んだ野村氏、経営基盤を再構築し、03年度の復配、国際線の黒字化に目途をつけた大橋氏の功績は大きい。 山元氏が09年度の羽田再拡張に向けて、グループ全体のコスト構造改革、経営基盤強化に取り組むことを第1に挙げていることは、08年度までの2期4年でこれを成し遂げ、09年度からは気鋭の後継者に譲る気持ちでいるのではないかと推察する。 社長退任時は、野村氏66歳、大橋氏64歳。山元氏は59歳で社長就任、2期4年務めれば63歳になる。大橋氏は社長交代時期について、「スピード感を持って、若返りを図ることが大切」と述べている。これを踏襲するなら、山元氏の役割は「09年の事業拡大に向けて土台作りということになる。 全日空はスターアライアンスに加盟したことにより、国際線については、コードシェアリングをフルに活用している。資源は中国線を中心にアジアに特化しており、この方向性は今後も変わらないと見られる。とくに、2006年に供用する成田空港南ウイングには、全日空をはじめスターアライアンスのメンバーが集結する。 そして、2007年の関空二期供用、09年の羽田再拡張による国際線拡大、成田空港の平行滑走路2500m化も具体化する。とくに、全日空が文字通りの「アジアナンバー1」のキャリアになるためには、09年の羽田再拡張が最大のキーポイントになるだろう。 大橋社長が主張する「羽田国際線枠が年間3万回では足りない」の意味するものは、香港、韓国、台湾、そして中国など近隣アジアと日本のボーダレス化の進展、そしてその核となるのが羽田空港と見ているからだと思われる。 グループ全体の経営基盤を強化するためには、社員の協力が不可欠となる。山元氏は3年間の労務担当で、全社員の賃金5%カット、乗員の乗務手当の2.5%カットを実施した。乗員との議論の中で信頼関係が生まれたという。また、これまでで、最も印象に残っていることに、86年の羽田客室部のリーダーの一人として300人の部下を抱え、女性の能力の高さを知った時と語る。 社長に就任しても「14〜5名の小さなダイレクトトークを続ける」と語る。とくに、「1600名を擁する乗員に対するエネルギー、愛情が不足している」と述べ、「専門職である乗員と会社がどこを目指しているか、少人数で話をしていきたい」と乗員との対話を強調する。全日空の起業精神である「和協」を思い出す。 山元氏はANAの強みについて、「“よし、やるぞ”という社風、精神が残っている」と述べた。しかし、時代の流れで仕方がない面もあるが、かつてのような「サムライ」はANAには少なくなったように思う。以前の全日空の若い社員には、「俺の体には青い血が流れている」といった航空業界の規制や巨大なJALに立ち向かう意気込みが感じられた。 時代は変わるが、こうした常に挑戦者であるという意識は、「後発企業」である全日空の長所と思う。山元氏には、ぜひとも社員との対話の中で、ANAの原点である「挑戦者」の気概を取り戻し、飛躍のための基礎固めを期待したい。(石原) ※関連リンク 航空新聞社
by yoshiro.ishihara
| 2005-01-31 00:00
| 航空・旅行
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