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今年の夏休みは、家族で福島を旅行した。2011年3月11日の東日本大震災以降、毎年、東北は旅行、仕事(WTTC仙台大会取材)で行っていた。仙台から釜石まで三陸を二度ほど車で旅し、被災地の復興状況を目の当たりにした。 だが、福島は今回が初めて。決して福島を遠ざけていたわけではないが、震災後3年を経ても、実際に福島に行って良いものかどうか。とくに、制限区域エリアまで行くことが興味本位と取られないかなどを気にしていた。 福島へ行くのは二つの理由があった。一つは、先だってマレーシア・ランカウイの取材でお世話になった裏磐梯エコツーリズム協会の伊藤延廣会長に再会し、日本を代表する裏磐梯のエコツーリズムを体験すること、そしてもう1つは福島第一原発周辺の制限区域エリアをこの目で見ることだった。 東北道から磐越道を走り、猪苗代湖を見て裏磐梯へ向かう。今から25年ほど前にこの辺りを旅行したことがあるが、大きく変貌していた。それは、時を経て近代的な観光地になったということとは真逆で、景観が素晴らしいことだった。 日本の観光地はそこら中に無粋な看板、派手な原色の建物が立ち並び、自然景観を損なっているが、裏磐梯はダークブラウンに白抜き文字で統一されていた。日本中にあるコンビニエンストアもお馴染みの緑と赤、青と緑などではなく、焦げ茶色に白文字である。運転していると、それだけでも景色が全く違うことに気づく。 裏磐梯の五色沼周辺は、バリアフリーで整備されている。かつてカラフルなスキーウェアでスキー客が溢れいた時代はそこにはなく、自然を愉しむ旅行者がいた。伊藤会長に「熊が出るかもしれないので、喋りながら歩いて」と言われ、ちょっと驚くが、裏磐梯は熊の生息地であり、こちらが失礼しているのだ。 裏磐梯、磐城温泉に宿泊後、常磐道で富岡町へ。福島第一原発の周囲は常磐道、国道6号線、常磐線などは全て途切れている。常磐道を降りて一般道路を走ると、全く景色が違うことに気づく。所々に築かれた除染物。ここは居住制限区域。 家、店、コンビニエンスストア、ガソリンスタンドを見かけるが、そのまま放置された状態。とくに、田畑は見分けがつかないほどの草地に様変わりしている。人の手が入らないと、これほどまでに変わるのかと思う。 常磐道を降りてから国道6号線を経由していわき方面に向かうと、そこかしこで検問とスクリーニングが行われていて、ナビと道路がなかなか一致しない。地元の方には「この状況を帰ったらぜひ伝えてほしい」と言われる。 ようやく国道6号線の富岡町の交差点に出る。そこには、「エネルギー館」が見える。もちろん放置されたままだ。国道6号線に入り、ここまで来たのだからと広野町の道の駅に立ち寄ったが、双葉警察署の臨時庁舎に変わっていた。 ここは被災地とは全く異なる。被災地は「被災地ツーリズム」、「復興ツーリズム」と呼ばれ、その地を旅することでツーリズムの果たす貢献がある。しかし、この地はあの日から時間が止まっている。ツーリズムの入り込む余地もない。日本にこうした地域があることに衝撃を受けずにいられない。 三陸を旅して復興はまだまだと思うが、福島の帰還困難区域はもとより、福島第一原発の影響地域へ行くと、復興の言葉も虚しくなる。 原発の再稼働や脱原発を論議することは、日本のエネルギー政策を考える上で極めて重要とは思う。しかし、居住制限区域へ行くと、日本に日本人が住めない地域、放棄された場所があることに愕然とする。 富岡町の「月の下」の交差点に掲げられた「富岡は負けん!」という弾幕。福島第一原発事故を他人事にしてはならない。ツーリズムに何ができるのか、業界で常に議論するべきことと思う。(石原)
by yoshiro.ishihara
| 2014-08-25 00:00
| 航空・旅行
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